ローヌ川

ローヌ川 全長812キロメートル。
フランスの4大河川のひとつにも数えられるローヌ川は、スイスのサンゴタール山塊より流れ出し、レマン湖を通って、リヨンでソーヌ川に合流した後、地中海に流れ込む川である。

流域には、先史時代から人の住んだ痕跡があちこちにある。

古来より、人と物資を運んできた。物資の流通の中心となった川である。ローヌの語源は、ロードス島から来ていると言われる。

アルルで仕事を終えて、帰ろうと駅に向かう途中、目に飛び込んできた風景。まるで海みたいと思ってしまった。
アルルは、2600年前、マルセイユに都市を作ったギリシャ人たちが、フランスの内陸部に入ろうとして、最初に作った河川港である。

ローヌ川は、このアルルを通り大きく二つの流れに分かれ、カマルグ湿地帯を形成して地中海に流れ込み、スイスの山から始まった長い旅を終える。

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ずいぶんと。。。。

さぼっていました。

捻挫してました。。。
足が悪いと本当に不便だなぁと実感。しかも歩く仕事ですから、致命的です。
もう2ヶ月近くなりますが、まだ完全には治っていない。先週から針の治療に通いはじめましたが、どうもこれが一番効果的のような・・・

捻挫しながらも、すぐに治ると思ってたので、お仕事すべてキャンセルせずに続けてたし、ストはあったし、風邪引いてたし、けっこう最悪でした。そして何より寒くなったので、外を歩き回るのはかなり重労働!

12月、今のところはお仕事の依頼ほとんどなし。喜んでいいのか、悪いのか。。。Pict0160
サボってる間にもう、すっかり秋から冬へと季節は変わっていきます。Pict0162

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アヴィニョンの橋

アヴィニョンの橋で、踊ろう、踊ろう
アヴィニョンの橋で輪になって踊ろう

童謡にもなっているこのアヴィニョンの橋、実在します。ただし、17世紀以来壊れて修復されないまま、対岸に渡ることのできない橋として残っています。

正式な名前は、サン・ベネゼ橋。Pict0011

1177年、アヴィニョンの北、アルデッシュ地方のヴィヴァレの谷に住むベネゼという羊飼いの青年が、ローヌ川に橋を架けよというお告げを聞いたことから物語が始まります。

ベネゼはアヴィニョンにやってきて、人々にお告げの話をしますが、最初は誰にも相手にされません。それどころか狂人扱いされる始末。けれどもあまりに一生懸命に訴えるのである人がベネゼに言います。それほどに言うのなら、証拠を見せろ、神通力でもあるのなら信じようと。するとベネゼはそれまで何十人もの大男がかかっても動かせなかった大きな石を軽々と肩に担ぎ上げて、その石をローヌ川に投げ込みます。そして、その大石が、橋の礎となり、やがてベネゼの神通力のうわさを聞きつけた人々から寄付が続々と集まり橋が完成するのです。

ベネゼは橋の完成を待たずに亡くなります。そのベネゼのために橋の途中に礼拝堂が作られました。17世紀に礼拝堂から移されたベネゼの聖遺物を20世紀になり調べたところ、本当に20代の青年の骨だと鑑定されました。ベネゼが実在したかは定かではありませんが、このことから実在した人物であったのではないかと言われています。

橋は歩行者と騎馬通行者のための橋であったため、幅が4メートルしかありません。
アヴィニョンの橋の上で踊ったのではなくて、橋の下で踊ったというのが本当の歌詞です。

Pict0012_2 橋の上から見た法王宮殿とノートルダムデドン大聖堂。

 

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朝焼けの古代劇場

Pict0130 夏が終わる。もう秋の気配です。
日曜の朝7時半。アルルの町はひっそりと、まだ眠りから覚めていませんでした。

夏は観光客でにぎわう古代闘技場前には、人っ子一人いません。
闘技場を過ぎて、古代劇場を通りかかり、ふと見ると、明けかかった陽のあたる古代劇場。Pict0132

夏の間、設置されていた舞台の撤去作業中。夏の間はさかんにこの古代劇場で、演劇や音楽の催しがあったのですが、それももうおしまい。

どんどんと日が短くなり、秋に突入です。

この古代劇場は、紀元前27年から25年ごろ、アウグストゥス帝治下に建てられました。
直径102メートルの半円の形をしており、33段の階段席には1万2千人の観客を収容することができました。27のアーチを持つ、3階建ての建物でした。大きさでは、古代闘技場(アリーナ)の約半分ということになります。

写真にある柱は、舞台の中央後ろにあるデコレーションの一部でした。本来は4本あったものですが、2本だけ残りました。二人の未亡人と呼ばれています。

この劇場は、5世紀ころにはすでに、異教徒の堕落した見世物を見せる劇場として、キリスト教徒から迫害を受け、教会建築用の資材として、壊され始めました。その後は、要塞として使われますが、住宅や修道院、庭園などとして切り分けられ、長い間埋没して忘れ去れていました。17世になり、再発見され、現在の形に修復されています。

夏の間には、この劇場で、演劇、オペラ、コンサートやその他の催しが行われます。Pict0131

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お疲れ様。

ガイドさん仲間にお会いして、慣れた方はやはり開口一番、「お疲れ様です。」と言われるのですが、私はどうしても、おはようございます、とかこんにちは、と言ってしまう。新入りですから、なるべく失礼のないようにと、自分なりに努力はしてるつもりですが・・・・難しいです!

今までずっと日本人と接することがほとんどない環境に、ずいぶん長くどっぷりと浸かって生活してたから、しょうがないといえば気は楽なんですが、先方にはそういうことはわからないわけで・・・

この週末から昨日まで、3日連続でお仕事でした。早い日には6時半に家を出て、日曜は帰ったら夜の11時半だった。さすがに疲れました。今日は、ダウンしてます。久々に家でだらだら・・・・・(^・^)今だったら、「お疲れ様」がスムースに出てくるかも?!

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アヴィニョン 世界遺産の町

アヴィニョンは、ガイドのお仕事を始めるにあたって、一番最初に研修した町です。それだけ、日本から来るツアーのお客様がたくさんいらっしゃる町でもあります。

14世紀の城壁に囲まれた旧市街には法王宮殿、町のすぐ前を流れるローヌ川にかかる通称アヴィニョンの橋、サン・ベネゼ橋があります。

プロヴァンスの一地方だったアヴィニョンに、14世紀に法王庁が移転してくるという一大事が起こります。以来、このアヴィニョンの町は、芸術と文化の中心地として栄えます。
法王宮殿は、1332年から1352年にかけて、二人の教皇によって建設されます。ヨーロッパでも最大のゴシック建造物で、延べ平方面積は1万5千平方メートルもある、広大な宮殿です。けれども、残念ながら宮殿は教皇がアヴィニョンに滞在した当時の華やかさを、すっかり失った形で現在に伝えられています。今では、その堂々とした宮殿の外観とわずかに残されたフレスコ画から当時を偲ぶことができるだけです。

旧市街には、町のあちこちに石畳の古い通りが交錯し、洗練されたおしゃれなお店がたくさんあります。
Pict0011_2 Pict0012

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マルセイユ

鉄道を使って旅をすると、到着した駅がそのままその町の印象につながることがある。
マルセイユの駅は、私にとってまさにそういう存在である。

初めてこの駅に降り立ったのは、いつのことだったか。いつの季節だったか。パリやヨーロッパの大都市の大きな駅は、どれも立派で目を見張るものが多いが、マルセイユの駅が印象に強く残っているのはなぜだろう。

駅の構内から一歩出ると、高台にある駅から眼下にマルセイユの通りが広がる。開放的なすがすがしさと見渡す景色のよさ、階段に配置された彫像の素晴らしさに立ちすくんだことを覚えている。Pict0112

駅前の通りの緩やかな坂道を下ると、目抜き通りのカナビエール通りにたどり着く。カナビエールを右手に折れると、ヨットのマストで埋まっている旧港が見えてくる。潮の香りのする港に、隣接して都会がある。そのアンバランスさもマルセイユの魅力なのだ。

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お肌の曲がり角

は、とっくに過ぎてると思われるが、どうしてもほっぺのシミが気になりだして、遅まきながらコスメを探してみました。
去年、半年ほど、ニュー○〇○ズのシミ消し化粧品を使ってみたけど、これといった効果はなかったような・・・・・

たいていは、日本に帰ったときに調達してたんですけど、おフランスは美容エステの本場じゃないのか!?と考え直し、まずは薬局の美容部員さんに聞いてみました。こっちの人は、ほんとお肌の手入れしてないみたいだし、半信半疑で行ったんだけど、ありました。ちゃんと、シミ消し用アンチ・エイジングの化粧品が!しかも、今までは日焼け止め指数が高いという理由で、(節約もかねてます・・・)子供用の日焼け止めで用を足していたんですが、こちらも聞いてみると、なんとあるんですねぇ。ちゃんと加齢肌用の日焼け止めが。

朝夕、気になる部分にほんの少し刷り込んでくださいということでした。メラニンを浮き上がらせてシミを消してくれるらしい!
始めて今日で三日目。効果のほどは???暗示にかかりやすい性格なので、初日から効果ありか!?と驚いてましたが、やっぱ、そうは簡単にはいかないようで・・・・残念ながら。続けてみます!


 

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お知らせ

ココログさん不具合のため、お返事のコメントが返せません。

書き込みいただいたコメントの中に編集という形でのお返事をさせていただいています。
ごめんなさい。

必ずお返事はさせていただくつもりですので、おかまいなかったら感想など書いていただけると、とても嬉しいです!Pict0023

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ポンデュガール 大水道橋

Pict0125確か高校の世界史の教科書にも載ってるはず。
初めてここを訪れたとき、こんなところにあったのか!と妙に納得したのを覚えています。1985年以来世界遺産にも登録されているローマ時代の水道橋に行ってきました。

今日は土曜日、お仕事ではなく、退屈してる下の息子を川遊びに連れていきました。橋の下を流れるガルドン川で、カヌーくだりをしたり、泳いだりできるのです。

いつ行っても変わらぬ美しい姿は圧巻です。Pict0121

16キロ離れたユゼスにあるユールの泉から、ニームに水を供給する目的で、紀元40年から60年ごろに作られました。50キロにも及ぶ水路を15年がかりで作り上げたようです。この橋はその水路の一部分に当たります。ニームとユゼスは直線で結ぶと25キロの距離ですが、ローマ人たちは自然の地形の勾配を利用して、50キロにも及ぶ水路を作り上げました。水路のほとんどの部分は地下に埋没したものでしたが、ガルドン川を横断するために橋を作りました。

ニームと水源地では17メートルの高低差しかありません。1キロメートルあたり、34センチの傾斜ということになります。傾斜率は0,04パーセントです。

約5万トンの石が平積みされています。大きいものでは、ひとつが6トンもあるそうです。ガルドン川の最低水位から49メートルの高さ。橋の全長は273メートルです。

水は3層あるアーチの一番上を流れていました。実際に水が流れていた水路の中の高さは約180センチで、人も十分に通行可能ですが、橋を保存する観点から、現在では、事前に予約をしポンデュガールの公認ガイドを雇わないと最上層を見学することはできません。

場所はアヴィニョンとニームのちょうど中間くらいになります。

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